2005.02.28 社長コラム
作品群が揃った。いよいよAプランを実行に移す時が来た訳だが、その前に自分にルールを設ける事にした。それは、この後、必ずと言っていいほどお金で辛い思いをするだろうが、絶対にこの業界以外の事で金銭を得る事はやめようということだった。確かに割りのいい仕事や、ややもすれば惹かれてしまいそうな仕事はいくらでもある。しかし、今まさにこの業界で身を立てようとしているのに、それでは目標を濁らせてしまうと考えたからだ。今にして思えば、少し偏りのある考え方だったかもしれないとも思えるが、当時はそれぐらいガムシャラに進まなければモノにならないと思っていた。
さて、前置きが長くなったが、ここでいよいよプラン始動だ。まず最初に向ったのは某広告代理店。完成したポートフォリオを持って意気揚々と飛び込んでいった。もちろんアポは入れてない。しかし、担当者の方の名前は事前に電話で聞きだしている。こういうことは営業マン時代によくやったことなので臆することなくガンガンいけた。しかし結果は門前払い。当然のことだった。それでもめげずに3回アタックした。すると熱意が通じたのか何だかわかないが3回目に話だけは聞いてくれた(どうやらその時、時間があったみたい)。しかし、ただ聞いてくれただけだった。作品にさえ目を通して貰えなかった。仕方が無かった。
今にして思えば当然と言えば当然だ。そんな無思慮で無遠慮な行動は、いくら若いからといっても社会が許すはずもない。ましてや社会に出て日の浅い小僧の戯言を丁寧に聞いてくれるはずもない。その事は当時も少し気づいていたが、人生にはやはり「ひょっとしたら」が付きまとう。希望的観測で行動するのは間違いの元なのだが、若さゆえの行動と見てくれる社会の寛容さにすこし期待するところもあったのは事実だ。まあこれを甘さと言われてしまうとそれまでなのだが、当時は「若いから何事もチャレンジだ!」と思えることを美徳と思い込んでいた私は(今もそう思っている)左程に落ち込みはしなかった。
1社だめなぐらいでAプランを断念することもないので、引き続いて大手広告代理店のデジタル部門や大手映像会社などガンガンとアタックしていった。——「何でもやります!見習いからでお願いします!」「給料はいくらでもいいです!まずは現場を経験させて下さい!」——と米搗きバッタのように頭を下げたおした。が、どこにいっても「今は人が余ってるぐらいだから」とか「経験がないんじゃ、ちょっと無理かなぁ」と言う答えばかりだった。しかし、そんな答えにもめげず、しつこく通っていると次第に嫌がられ、なかなか会ってももらえなくなり始めた。
「そりゃそうだよなぁ」——ほんと当たり前だと思う。さっきも書いたが今考えると空恐ろしい。営業マンの頃は会社というバックボーンがある中で営業するからある程度許されることもあるだろうが、何の後ろ盾もないところで来られてもねぇ・・・。
ほんとあの時の皆様申し訳ございませんでした。と同時にいろいろとご助言頂きまして本当にありがとうございました。
こんな形で申し訳ありませんが今、改めてお礼を申し上げます。
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